赤羽台団地

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所在地: 東京都北区
最寄駅: JR東北線・高崎線・埼京線 赤羽駅

コピペ度: 4
コピー度: 6
ペースト度: 6
パプテマス・シロッコ度: 5
ハイカラ度: 3
サッカーボール度: 6
トヨタ度: 3

背景
軍都赤羽 和菓子 喜屋

日清日露戦争から始まって日本軍は大陸を戦場とすることが多くなり、陸軍の工兵部隊はそのつど強化されていった。赤羽の両工兵師団もまた重要な存在となって将兵の数は増大し続けた。
入隊除隊、休暇や家族の面会などで赤羽駅には軍服姿が目立ち、駅前通りとしてのいまの本町通りはそれらの関係で両側に旅館や飲食店みやげ物店娯楽場などが立ち、村から徐々に町らしい家並みへと姿を変えていった。また「兵隊屋敷」からのもろもろの商店への買い入れ、農家においても野菜や漬物を納入する業者が生れ沢庵漬け菜らっきょう梅干しなどの生産で潤うようになった。

こうした経済的な恩恵だけではなく、町と両工兵隊は互いに良好な関係を保ち続けていた。
荒川の氾濫は本町通りまでも川と変えて舟を浮かべさせたが、こうした洪水災害や大火災にあってはすばやく救援活動に出動し、震災のときの不穏な騒動のうわさに対しては昼夜に町の警備にあたったりした。
花見どきになると営門から兵舎まで続く桜並木が花見客に開放され、大陸からの凱旋帰還のときは町ぐるみで歓迎して戦勝に沸いた。訓練を兼ねて浮間橋と工兵橋を荒川に築いて感謝され、町の行事には両師団長が招かれるのが常だった。士官達は家族とともに町なかの住宅に住んで子供を赤羽小学校に通わせ、または青年将校は老夫婦の二階に下宿した。町の娘と恋に落ちた兵士が除隊後に結ばれてここに住み着くこともあった。

鉄道の駅が出来たことによって軍隊の駐留をも呼び込む結果となり、もとは都内に無名の小村でしかなかった赤羽は次第にそれを町化の推進力としたが、こうした特色から陸軍町と呼ばれて名が知られるようになっていった。

地名「赤羽」の由来 同上

太古、厚く積もった関東ローム層の台地に秩父から下り落ちる荒川の流れがぶつかり、そこに立止まって周囲に氾濫し、やがてその水が引いて出来た土地が赤羽<くわしくはこちら>。したがって水が丘の裾を削ったために低地との落差が激しくローム層を縦割りにした崖が多くある。その壁面に赤い土が露見していたが、この赤土を意味する赤埴(あかはに)が地名の語源ではないかと一般的にいわれている。


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 まずこの団地を見てください。
 120度ずつ向きを変えている変わった集合住宅です。

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 裏側から見るとこんな感じで、共用階段式で公団の典型的な形式ではあります。
http://www.akabane.org/chronicle/news0461.htm(赤羽クロニクル)によると、昭和30年代における都市の住宅問題に対応して住宅都市整備公団が都区内で初めて開発した大規模団地で当時の公団のモデル的団地に位置づけられ、設計・計画で様々な試みがなされていたものだそうで、まさに住都公団の実験的な団地と言えます。
 
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 一階部の地面との関係は今では考えられません。泥棒が簡単に侵入できます。

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 これがこのようにコピペされています。

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 片廊下式団地のコピペもあります。

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 こんなのも。

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 これはコピペではないのですが、3階と6階に出っ張りがあってどういう住戸プランなのか分かりませんでした。
 赤羽台団地は住都公団の過渡期で、色々と実験的だったことが分かります。

 適当なところは極めて適当で、ちゃんとやるところはちゃんとなっている印象を受けました。

参考
赤羽台団地 団地百景


19 Jul, 2004 | 大臣 | コピペ団地 + 東京都 | Comment Me! | Trackback Me! | このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加




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