大むかしからの習慣であるかのような錯覚

司馬遼太郎が考えたこと〈11〉エッセイ 1981.7~1983.5

 伝統的な日本の婚礼では、神が存在しない。両人が交わす「盃」というものが唯一絶対の固めのしるしであり、他はすべて枝葉のことである。
 ともかくも、キリスト教のように、神父や牧師が介在して神や聖書に誓うということもない。
「神前結婚」
 などということも、神社がキリスト教にまねて流行させたもので、神主がいわば牧師として(?)式場に出現する。そのはじまりは明治三十年代のことで、東京の日比谷大神宮(現・東京大神宮)が最初だったというのが、江馬務博士の説である。たちまち流行し、しかも古色を帯びてしまって、いまでは大むかしからの習慣であるかのような錯覚が世間にある。(p.294-5)


22 Jan, 2006 | 大臣 | | Comment Me! | Trackback Me! | このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加




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