司馬遼太郎『菜の花の沖』を読み始めています。まだ4巻に入ったばかりで、レビューはとても書けないのですが、面白い段落があったので紹介します。
この時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。 上のものが新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。 江戸期には、武士の社会では幕臣・藩士を問わず、同役仲間であらたに家督を継いで若い者がその役についた場合、古いものが痛烈にいじめつくすわけで、いじめ方に伝統の型があった。この点、お店の者や職人の世界から、あるいは牢屋の中にいたるまですこしも変わりがない。日本の精神文化のなかで最も重要なものの一つかもしれない。(二巻 p.249)江戸社会には新入りをいじめる文化というのがあり、他の国からみれば特異ともいえる精神病理学的な現象かもしれない。(略)いじめることは最初は古参者の娯楽だったかと思えるが、しだいに秩序意識や秩序の論理が加わり、いじめたり焼きを入れたりすることは秩序を守るための正義だと信じられるようになった。(三巻 p.49-50)
「いじめ方に伝統の型があった。」というのが興味深いですね。「菜の花の沖」は江戸時代中~後期の話なので、それ以前からあったようです。
儒教が大きな原因なのでしょうかね。
儒教社会では、上下関係と行儀良さがキーワードのように思います。
仮に、上下の関係がなにかしらでひっくり返ったとします。すると、以前に上にいた者はとても不快になりますが、表面上は行儀よくしなければならなりません。そのため、陰湿に攻撃することになるのだと思います。
儒教社会では、身分にかならず「上下」を作りますからね。ヨーロッパにはない発想でしょう。
一方で、日本社会は田畑を前提とする農村文化が根強いです。農村では土地を離れることができず、生きていくうえで共同体の中から人々は出ることはできません。共同体の行動を乱すことは許されないので、共同体の行動を乱すものはいじめられるのだと思います。
「いじめが問題になっている」と昨今よく言われますが、司馬遼太郎に言わせると、いじめは江戸時代よりもっと前からあったようなので、今から問題になったわけではないのでしょう。文化だそうですので、日本人である限りなくならないのでしょうね。
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